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2025/03/05 00:42

先日、Instagramで退職のことを投稿したところ、多くの方からDMをいただきました。

皆さん、それぞれ「新しい道」について考えているんだなと感じました。

一人ひとりに詳細をお伝えしたいのですが、長くなりそうなので、ここで経緯を書きます。

本当に長いかと思います。

高校卒業後、二人で始めた生活


私たちは高校を卒業してすぐに働き始めました。

どちらも学歴がなく、給料はとても低い会社でした。

ボロボロのワンルームで二人暮らし

ギリギリの生活。

その後、私の妊娠でさらに厳しい状況になりました。

(本当に計画性がなかったなと反省しています)

そこから家賃も払えず悩んでいた時、

友人のおじいちゃんの空き家に住まわせてもらえることになりました。

そこに10年近く住まわせてもらい、もう本当に助けられました。

隙間風が入り

トラックが通ると揺れるような家でしたが

家族4人集まって「寒い、寒い」と言いながらストーブの前を取り合い。

今思えば楽しい思い出です。

子どもたちは「あの家好きやったな」と今でも言ってくれます。

ただ生活は楽にはならず、私はパートをしながら何とかやりくり。

ある日、旦那がくしゃくしゃになった求人広告を見たことがきっかけで工場勤務の仕事に転職しました。

給料は以前の倍近くになり、夜勤もこなして、経済的な余裕が少し生まれました。

「このままでいいのか?」と感じ始めた日々

不自由ない生活が続き

30代後半に差しかかったころ

「このままでいいのかな?」と考えるように。

でも

「生活はできてるし」

「家のローンもあるし」と

諦める理由ばかりを言っていました。

そんな時、以前もお話しした〈実家との和解〉があり、「鉄工」という道に出会いました。

ある出会い

TETSUZANを知ってもらうため、私は色んなイベントに出店しました。

「どこに出会いがあるかわからない!」と思い

地元のフリーマーケットへも出向き

焚き火台を1台だけ置いてTETSUZANのチラシを配っていました。

そのイベントには全然人が来なくて、ため息をつきながら片付けをしていた時

あるご夫婦が

「これ何?」と声をかけてくれました。

「実家が小さな鉄工所をしてるんです」

と話していると

なんとその方は大きな鉄工所の社長さん!

「工場を見に行ってもいい?」と言われ

後日、本当に訪ねてきてくれました。

そこからすぐに仕事をいただけることになりましたが、その鉄工所が扱う機械は何億円もするものばかり。

初めてのことばかりで、うまくいかないことも多く、

強く叱っていただくことの繰り返し。

そのたびに教えに来てくれました。

仕事帰りに鉄工所へ行き

依頼された仕事をこなし

夜勤明けでそのまま製作し

寝ずに出勤など‥

それでもうまくいかないことが続きました。

今まで見たことのないくらい落ち込んだ旦那の姿を見ていると

自分に苛立ち、相当悔しかったんだと思います。

ある日、夜勤明けで依頼された製作をやろうと鉄工所に着くと、近所の鉄工所の人と父が朝早くから作業を進めてくれていたそうです。

そんな姿を見て、

この鉄工所を引っ張っていかないといけないのに

助けられている自分が情けなく

「鉄工のことをもっと知りたい」と強く思うようになったそうです。


40歳で決断。

会社を辞めて鉄工の勉強に専念!

社長は「頑張れ」と、それでも仕事を与え続けてくれました。

でも旦那は

「本当にすみません。これからいただく仕事はできません。 やっぱり鉄工の仕事をもっと勉強してやり直したいです!」と頭を下げていました。

その姿を見ていると

本当はこんなこと言いたくなかったやろうな

悔しいやろうなと私は胸が痛かったです。

でもこの社長との出会いで

向かうべき道が見えた瞬間でした。

その時、旦那は40歳。

会社員を続けながらでは、鉄工に本気で向き合えない。

そう口にするようになりました。

でも、TETSUZANの売り上げだけで余裕で生活できる!と言えるほどでもなく

ましてや、娘の高校入学に色々とお金がかかり

住宅ローンや生活費の負担が大きい…。

それでも

「よし!会社を辞めて、鉄工に専念して!」と伝えました。

家計のやりくりは私がしていたので

「お金はどうにかする!貯金はあるから心配しんといて!」

(嘘を勢いで言いました。笑)

こうして1年前、旦那は15年間勤めた会社を退職しました。

退職翌日、驚きの展開

本当に不思議なことですが、退職した翌日から突然注文が増え「なんで!?」「退職のこと誰にも言ってないのに!」と二人で驚きました。

このおかげでこの1年、勉強に集中ができました。

これは皆さんがさまざまな場所で広めていただいたおかげです。
本当に感謝しています。


挑戦の始まり

ここから試練がはじまります。

退職後、旦那は平日朝から夕方まで溶接の勉強。

その後、私の仕事場まで迎えに来て、そのまま二人で深夜まで作業。

工場までは片道40分の道のり。

帰宅後、就寝するのは1時を過ぎ‥

平日はこれの繰り返し。

土日はイベント出店と製作に追われる日々。

子供達の夜ご飯は朝に作り置き

あまり一緒に食べれなく寂しい思いをさせました。

ただただ頑張るしかなかった。

伝えたかった人

鉄工所を作ってくれたおじいちゃん

初孫だった旦那をすごく可愛がっていたようでした。

10代で家を出た旦那をいつも心配して電話をくれていました。

旦那の待ち受け画面は

今でもずっとおじいちゃんとおばあちゃん

そんなおじいちゃんは退職翌月に亡くなりました。

突然でした。

退職時おじいちゃんに

「鉄工所は俺が継ぐからな」

と伝えた時

「ここはお前の好きなようにしたらいい」と

満面の笑みだったおじいちゃんの顔は

今でも忘れられません。

鉄工所を守っていくことを

おじいちゃんに伝えられたことは

本当に良かったなと思っています。

災難‥

そこから約2ヶ月後

大型イベントfield styleに出展の2週間前

これからイベントに向けて製作していこう!という時に

交通事故に遭いました。

居眠り運転の車が正面衝突

衝突された直後、私は呆然とし

「早く降りろ!」と叫ぶ旦那

ふと見ると加害者の方の車から煙が‥

そこから旦那は運転席のおじいちゃんを助け出していました。

「本当にすまないことをした」と

身体を震えさせ何度も謝るおじいちゃん

「俺のおじいちゃんと被ってしまって、、

もうそんな謝らんといて。悲しくなるわ」と

悲しい顔をしていた旦那。

本当におじいちゃん子だなぁと改めて思いました。

幸いお互い怪我などはなく

生かされたと思いました。


後々聞いた話

旦那のおじいちゃんも40歳の頃、正面衝突をされ

その年に鉄工所を始めたそうです。

不思議なことです。。


それからは私たちは身体が痛くても

イベントに向けて製作を続けました。


深夜0時、無言で食べたすき家の牛丼。

閉店間際のスーパーで買った売れ残りのお惣菜。

思うようにいかず、無駄に言い合った帰り道。

体力的にも精神的にも本当に厳しい1年でした。

でも今では、全部大切な思い出です。


この1年間、本気で鉄工を学んだ旦那は

「過去教えた中でトップに入る」とまで言われ

自信を持てるようになりました。

そして、いよいよ本格的に「鉄工所の再建」に向けて動き出します。


長くなりましたがこれが退職の経緯です。

これからも色んな困難があるかもしれません。

正直不安だらけです。

ただ選択はいつも「ワクワクする方へ」

そうしていると必ずいつか道が開けると思っています。

今、色んな困難に立ち向かっている方

大丈夫です!!

向かう壁の先の世界を見れるよう

お互い突き進んでやりましょう!

そして、そんな私も

12年勤めた会社を退職します。

その経緯もまたお話しさせていただきます。


こんな内容でしたが、皆さんからの質問の答えになっていたら幸いです。

それでは!