2026/02/18 00:47
旦那が退職してから1年。 当時は、まさか自分も退職することになるなんて思ってもみませんでした。 振り返れば、私はずっとものづくりに関わってきました。 この12年間勤めることになる会社に、最初は派遣社員として働き始めました。 初出勤の前日、大好きなアーティストのライブが京都であることを知り、すぐに申し込もうとしたものの、すべてSold Out。
その時、目に入ったのが
「物販出店者募集中」の文字。
すぐに申し込むと、なんと出店が決定。
でも
「何を売ろう?」
「出店なんて初めて」
テーブルは地元の公民館から借りることにしました。
そして決心。
「よし!アクセサリーや!」
実は18歳から作っていました。
(この話はまたお話しします)
イベントまで1ヶ月。
しかも翌日から新しい職場での勤務がスタート。
子供を保育園に送り、仕事をして帰宅。
食事・寝かしつけを済ませたら、夜中2時まで製作…
最初は「音楽イベントに行きたい」だけだったはずが、
いつの間にか「作る楽しさ」にどっぷりハマっていました。
イベント当日。
周りは皆、オシャレな什器を並べていましたが、
私たちは公民館から借りた長テーブルだけ。
この時、什器の大切さを知りました。
「もっと色んな場所で出店する!」と決め、
そこから怒涛のように全国の音楽フェスへ出店。
アクセサリーは1日100個以上売れることもあり、
作る喜びに目覚めた私は、毎日毎日、新しいデザインを生み出し続けました。
18歳の頃に投げつけられた言葉。
「あんたなんかに一生なにやっても売れへんわ!」
この一言がきっかけで、アクセサリーづくりを始めました。
マイナスな言葉さえも、自分次第でプラスに変えられる。
そんな喜びを知ったのです。
死を覚悟した日
派遣社員だった私も仕事に慣れてきた頃、
冗談交じりに上司へ「社員にしてくださいよ〜」とよく言っていました。
すると、なんと本当に社員にしていただけることに。
職場の人間関係は良好で、仲間とはよく飲みにも行き、
嫌な人が一人もいない、本当に居心地のいい職場でした。
そんなある日、通っていた病院から携帯に電話がありました。
休診日なのにおかしいなと思いながら出ると、
「昨日の検診で白血球の数値がゼロ。このままウイルスが体に入ったら、あなたすぐ死ぬよ!今すぐ紹介状を書くから病院に来て!」
しかも病院は休みなのに、先生は待ってくれていました。
「紹介状のお金は?」と聞く私に、
「いいから!早く病院に行って!」
今でも思い出すたび、感謝でいっぱいになります。
実は、死を告げられたのは人生で2回目でした。
1回目は、年々死亡率が上がるという難病。
(今では発症していないのは奇跡だと言われています)
でも今回、白血球がゼロって…。
もう終わりやん。
一瞬そう思いました。
無菌室にいた時、旦那と初めてテレビ電話をしました。
「どこか行きたいところないか?」
本当に死ぬみたいでした。
お見舞いに来た時、寝ている私の横でシクシク泣いている旦那を見て、
なぜか私は「強く生きよう」と決めました。
その日から病室でアクセサリーを作り、
「退院したら販売するから」と
病気のことは考えず、未来のことだけを考えるようにしました。
そして体調も戻り、無事に退院。
退院の日、旦那は言いました。
「お前って実は不死身の体なんちゃう?」
私もそう思いました。
たぶんこの日を境に、メンタルの大切さを知った気がします。
そして40歳目前、鉄工をスタート。
あの2回の死宣告が、
今の強い自分をつくってくれたのだと思います。
仕事と製作の両立。 職場は本当に人に恵まれていました。 私がしんどそうにしていると、 「ちゃんと寝れてる?ちょっと寝てきていいよ」 と声をかけてくれる優しい仲間たち。 この12年間続けてこられたのは、周りの人のおかげです。 ただ、仕事と家庭の両立は、身体的にも精神的にもギリギリでした。 深夜までの製作。 そして必ず来る朝。 寝不足と体力の限界。 旦那も必死に溶接を覚え、夕方から製作していたので、 「辛い」とはどうしても言えませんでした。 そんな時、新たな職場異動の話が。 仕事量は確実に増える。 迷いながらも「やるしかないかな」と思っていました。 でもその頃、TETSUZANの注文は日々増加。 納期へのプレッシャー。 そして異動が決まった日。 何かが、ふっと切れました。 「ごめん。もう無理」 そう旦那に伝えました。 兼業でもやれると思っていた。 でも現実は甘くなかった。 どちらにも迷惑がかかる。 そして何より、自分が限界でした。
そんな私に、旦那は笑いながら言いました。 「よし!会社やめよう! 俺はずっとお前とものづくりがしたいと思ってた。 これからは朝からずっと一緒に製作していこうや!」 「私、辞めていいんや」 その瞬間、心の中の何かが解き放たれました。 退職を伝えると、全国から人が会いに来てくれました。 送別会は3ヶ月続きました。 最終日、事務所を出るとき―― 「エイエイオー!」 みんなが右腕を高く上げ、笑顔で送り出してくれました。 辞められると思っていたはずなのに、 12年間が込み上げて、車で泣いてしまいました。
でも、立ち止まっているわけにはいきません。 これからは、どっぷりとものづくりに向き合える。 ずっと追いかけてきた夢と、 そばで支えてくれる人と 新しい一歩が、はじまりました。
